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越友楽道 - programnote110923 Diff

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!J.S.バッハ

!!ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ 第2番 イ長調 BWV1015
!!オルガンのためのトリオソナタ 第2番 ニ短調 BWV526

 同じバロック時代の優れた音楽家たちの真価が見いだされるようになった今日にあって、バッハを「音楽の父」と神聖視するのはもはや誤りといわざるをえない。バッハと同世代のテレマンは、当時バッハとは比べものにならない高い名声を得ていたが、現在の知名度はその逆である。これを見て、歴史に淘汰されたテレマンと生き残ったバッハの力量の差と考えるのは早計である。テレマンは当時の楽器や古奏法に最適化した作曲法に長けており、それらの手にかかると素晴らしい表現となる一方で、南国に連れてこられた白熊よろしく、他の環境には不向きなのである。

 バッハは他の音楽家に比べて、楽器に即した書き方をそれほどしていない。楽器の強みを生かす要素が薄いかわりに、楽器の特性に縛られることも少ないのだ。そのことは生前は不利に作用しただろうが、楽器や奏法が変わっていく中ではプラスに働いてきたに違いない。現代における境遇の違いは作曲のスタイルの相違によるものと捉える方が妥当だろう。

 その上で、前古典派の世代において自身が全欧屈指の音楽家でありながら、時代遅れの父を熱心に賛美しつづけた次男エマヌエル・バッハの影響力、ドイツ民族の英雄に祭り上げたフォルケルの評伝、そういった歴史の経緯があって、楽聖の虚像が生み出されたのである。本来バッハの音楽は、一流の作曲技法をもった音楽職人ならではの匠の技であって、畏まって拝聴するべき聖典などではないのに。

 バッハの作品はその性質を生かして、自由なアプローチを行える可能性があると私たちは考える。ヴァイオリンのパートをチェロで案外弾けてしまうというのは、新鮮な発見であった。オルガン上の三声部も、ガンバソナタと同じ編成の室内楽に見立てることができる。原曲のトリオソナタはバッハの全オルガン曲の中でも演奏至難と言われる作品で、オルガニストは両手両足を駆使して一人三役をするのだが、こうして二人で分担すればなんと伸び伸びと楽しめることか。

 また、バッハの演奏においては、歴史的な名演奏家をしてもエゴによる安易な表現はふさわしくない。自由でニュートラルな感性が求められる。それだけに万人の胸に去来する清涼感はバッハの作品を価値の高いものにしている。バッハ自身が卓越した演奏者であったのも所以であろう。

!!フーガの技法 BWV1080より
!!!コントラプンクトゥス 第1番(4声の単純フーガ)
!!!コントラプンクトゥス 第9番(4声の二重フーガ)
!!!コントラプンクトゥス 第8番(3声の三重フーガ)

 「フーガの技法」はバッハ晩年の曲集で、昔の日本では「遁走曲奥義」と訳していたという。時代に取り残されたバッハが、忘れられようとしている対位法の作曲技法、自らが生涯かけて磨き上げてきたその技を遺そうと、精魂込めて作曲したものと思われる。

 同一の主題を用いた14曲のフーガと4曲のカノンが、作曲技法の大系に沿って整然と並べられており、本日はその中から1番/9番/8番を取り上げた。1番は曲集全体の種子となるもので、基本主題による「普通の」フーガ。9番は二重フーガで、冒頭で提示される新主題をひとしきり展開した後、1番と同じ基本主題が同時並行で演奏される。8番は三重フーガであり、上下を反転させた基本主題を、2つの新主題と並べて展開する離れ業である。

!!無伴奏チェロ組曲第6番 ニ長調 BWV1012

 最高弦がE音である5弦のチェロを想定しており、第5番のスコラダトゥーラ調弦とともに、道具や様式を超越する可能性を示している。一連の組曲の最後にこの二つを配したことは未来への進化を思わせたであろう。無伴奏において建物に例えると、壁、建具、家具、装飾品の一方土台となる基礎や柱や梁の全ても一人で行う。持続されるべき和声音や、楽器の能力からあるつもりで省かれた音の刹那は鍵盤楽器やアンサンブルによるものにはない趣きを与えており、独奏楽器としてのヴァイオリンやチェロの価値を歴史的に押し上げている。

 D音の連なりに撹拌された序曲に導かれるニ長調は輝かしい未来への希望の響きにきこえる。アルマンドは厳格な規則のなかで自由に舞う即興性が人間らしく、特に印象深い。

!!ガンバとチェンバロのためのソナタ 第2番 ニ長調 BWV1028

 バロック時代において、「旋律楽器二つと通奏低音」という三声部から成り立つソナタ(トリオソナタ)が数多く作曲されたが、そうした場合チェンバロは通奏低音を担い、右手は書き下ろさずに奏者の即興に委ねるのが常型であった。しかし既成観念にとらわれないバッハは、一連のヴァイオリンソナタやガンバソナタ、フルートソナタにおいて、新しい編成を生み出した。このガンバソナタでいえば、第一旋律楽器のガンバに相対する第二旋律楽器としてチェンバロの右手を起用し、通奏低音を受け持つ左手と合わせて、(従来の三人でなく)二人でトリオソナタを成立させたのである。

 本日演奏する第2番では、この新機軸がすでに成熟の域に達しており、充実した音楽的内容を持っている。第4楽章では、なんとガンバとチェンバロそれぞれに、半ば協奏曲のように独奏部分まで盛り込まれている。交代で現れるこの小カデンツァでは、相方が完全に通奏低音化して支える上で、華やかなパッセージが続く。低音楽器と鍵盤楽器の組み合わせだからこそ実現できるアイディアだ。

 そして傑作たる第2番の中でも、曲の深さは第3楽章にとどめを刺す。バスのゆっくりした歩みの下、ガンバとチェンバロの右手が瞑想的な対話を交わす緩徐楽章である。ことに曲の中ほど、切迫した響きで昇ったチェンバロが最高音から下りだすその瞬間、あたかも感極まって弾けなくなったかのように、一拍だけバスが消失する。素晴らしい。この深いパトスは、まさしくバッハのみが作りえた世界である。