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越友楽道 - programnote121019 Diff

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!ミクロス・ローザ
!!無伴奏チェロのためのトッカータ・カプリチオーサ Op.36

 ブダペスト生。音楽の才能を開花させ、ライプチヒやパリで学んだ。大戦後多くの音楽家のようにアメリカに渡り、ハリウッドでの映画音楽において輝かしい活躍をした。「白い恐怖」「ベン・ハー」などの代表作ではアカデミー賞を受賞している。
 新古典主義の流れを汲み、シンプルな規模の楽想で展開する。おなじくハンガリー出身のコダーイとの共通点もみられる。とりわけ無伴奏チェロ組曲にも現れるツィンバロンを思わせる速弾きはラプソディックである。日本音楽とも共通し、五音音階の音列を基軸に陽旋律法を用い、思うままにみずからの情感を歌い上げる様は誇るべき民俗のアイデンティティーである。
 親交のあったチェロの名手、グレゴール・ピアティゴルスキーに献呈されている。

!キース・ジャレット
!!ハープシコードのためのフガータ

 ジャズピアニストのキース・ジャレットは、バッハなどクラシックのレパートリーも多数録音しており、その中にはピアノでなくチェンバロで弾いたものも含まれている。「ハープシコード」は英語でチェンバロの意。即興を身上とするジャズにチェンバロを適合した意欲作である。
 余談ながら、私の長年用いている本日のチェンバロは東京に工房を構える高橋辰郎氏の製作だが、キースが愛用して平均律2巻やゴルトベルク等のレコーディング等に用いたのも高橋氏の同様の楽器であり、不思議な縁を感じる。

!フランソワ・クープラン
!!ヴィオールと通奏低音のための組曲 第1番 ホ短調

 バロック期フランスで優れた音楽家を輩出したクープラン一族にあって、もっとも爛熟した時期に現れるべくして現れた「大クープラン」がこのフランソワである。
 彼自身は音楽史上おそらく五指に入るほどのチェンバロ奏者であったが、それはソロだけに留まらず、ヴェルサイユ宮殿で国王たちの華やかな生活を彩ったアンサンブルの傑作をいくつも作曲している。フルートのオトテール、ガンバのマレといった不世出の名手たちがクープランの通奏低音で弾く姿は、まさにバロックのドリームチームである。
 ヴィオールはフランス語でヴィオラ・ダ・ガンバのことで、この曲はおそらく同世代のマラン・マレと組んで演奏したものと思われる。チェンバロにおいてクープランがそうだったように、マレはガンバの最良の時期を代表する人物。作曲された1728年には両者とも最晩年で、その老練な音遣いはまさに達人の境地といえる。バッハをはじめ圧倒的な構成力で迫るドイツバロックとはまた一味違った、洗練された色彩やさりげない洒落心といったフランスバロックの美点を味わってほしい。

!バッハ父子
!!ヨハン・セバスチャン・バッハ
!!ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第3番 ト短調 BVW1029
!!カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ
!!ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ ト短調 Wq 88

 演奏順とは前後するが、文章のまとまりから解説ではバッハ父子をまとめて扱う。有名な「大バッハ」ことヨハン・セバスチャンと、その次男カール・フィリップ・エマヌエルの作品である。性格の異なる、けれども血は争えない、そんな父子の作品を前半後半のそれぞれ終わりに配してみた。

 大バッハは勤勉篤実を絵に描いたような人物だったらしく、青年時代から晩年に至るまでドイツ各地の教会や宮廷で働き、血の気の多い性格で多少の紆余曲折はあったものの、それも含めてきわめて健康的な人生を送った。
 二人の妻(死別して再婚した)合わせて20人の子供をもうけたが、医療の貧しい時代のこと、その半分は成人する前に亡くなっている。生き残った10人のうち、4人の息子は「インベンション」「平均律クラヴィーア曲集」といった父自らの曲集で教育を受け、いずれも優れた音楽家に成長した。
 ただ偉大な父をもったプレッシャーは相当なもので、特に長男フリーデマンは、兄弟の中でもとりわけ優れた才能に恵まれながら、死ぬまでそれに苦しんだようだ。長男に期待と愛情が傾いた分、次男エマヌエルは父離れ子離れしやすかったのか、ハイドンとともに古典派へ向かう新しい潮流の中心になり、生前は「大バッハ」の称号は父セバスチャンではなくエマヌエルのものだった。
 エマヌエルは「疾風怒濤」と呼ばれる新様式の反面で、バッハ一族、さらには偉大なセバスチャンの息子としての血を宿していて、そうした安定と不安定の交差するところが彼の一番の魅力になっている。

 ところで、バロック時代において、「旋律楽器二つと通奏低音」という三声部から成り立つソナタ(トリオソナタ)が数多く作曲されたが、そうした場合チェンバロは通奏低音を担い、右手は書き下ろさずに奏者の即興に委ねるのが常型であった。
 しかし既成観念にとらわれない大バッハは、トリオに対して新しいアプローチを打ち出した。このガンバソナタでいえば、第一旋律楽器のガンバに相対する第二旋律楽器としてチェンバロの右手を起用し、通奏低音を受け持つ左手と合わせて、(従来の三人でなく)二人でトリオソナタを成立させたのである。この新機軸にバッハ自身も手応えを感じていたようで、一連のヴァイオリンソナタやフルートソナタなどでもこの編成を用いて多数の傑作を遺している。
 ガンバとチェンバロ、もしくはチェロとチェンバロのためにバロック時代に書かれた作品を私たちはこれまで数多く見てきたが、どれが一番の傑作かと言われれば、それは大バッハのガンバソナタ3曲をおいて他にない。父を敬愛するエマヌエルが、自分も父がそれらを書いたのと同じくらいの歳になり、同じ編成同じ調性で自分なりの作品をものしてみたいと考えたのはある意味当然のことであったろう。